成長が止まる人とぐんぐん成長していく人の違い

谷山です。

今日はちょっと偉そうな事を書いちゃうかもしれません。

ご了承おばよろしくお願いしますm_ _m

同じ事を学んでいても成長速度の違いがある

僕は普段いろいろな人に氣力をつけるエネルギーワークを教えています。

もちろん習っている生徒さん方の目的はそれぞれで

「氣力を強くしたい!」

「将来的にスピリチュアル的な事やエネルギーワークを仕事にしたい!」

「自分の可能性を試したい!」

などなどホントに人それぞれ目的や目標があります。

ただ、皆さん

「エネルギーワークの技術や使い方を学んでいる」

という事は共通している訳です。

色々と教えさせて貰っていて、グングンと成長する人やなかなか自分の殻を破れずにいる人など様々なタイプの方がいらっしゃるのですが、今日は「伸びしろが大きくて成長が早い人」とそうでない人の違いなどを書いてみたいと思います。

成長が早い人とそうでない人の違い

まず、いきなり言ってしまうと「成長が早い人」というのは「素直さ」を持っている人です。

教えられた事に対して素直に自分の中に取り入れ、自分なりに解釈をして実践していく事でグングン伸びていきます。

もちろん、日常の中で実践をしていく訳ですから上手くいかない事や失敗もあります。

でも失敗したとしても

「何が悪かったか? どうやれば上手くいかせる事が出来るか?」

と考える「謙虚さ」も持ち合わせています。

そして「成長が遅い人」というのは「素直さ」を持っていません。

教えられた事を取り入れる事もありますが、教えられた事が自分の意向に合わなかったり氣に入らなかったりすると自分の中に取り入れる事がなく、例え日常の中で実践をしたとしても上手くいかないとなると

「教えられた通りにやったのに上手くいかない、これは間違っている」

と考え、自分の責任に目を向けません。

こういうタイプの人は例外なく「自我」が強いです。

「自我」が強い人は頭の中では「自分は実力がある人間」と思っている事が多いので素直に人の意見を聞き入れずらいですし、なかなか行動に移せない傾向があったりします。

コップの中の水

僕はよく

「コップの中の水」

という例えを話します。

人は例外なく

「自分の考え」

というモノを持っています。

それが「コップの中の水」であり「自我」です。

何かを習うという事は「新しい水」を入れる行為であり、知識や技術を学ぶチャンスです。

でも、自分のコップの中に水(自我)がたくさん入ってるとそれが邪魔してなかなか新しい事が入ってきません。

何か新しい事を教えられても

「自分の考えはこうだから」

「それはもう知ってるから」

という風になってしまい新しい水を入れてもコップから水が溢れてしまいます。

何か教わったり習ったりする時はまず自分の中のコップの水を空にして教えを受けた方が良いですよ、赤ん坊みたいに真っ新な状態になる事が大切ですよ、と僕は言います。

これは何も先生や指導者の言うことを鵜呑みにしなさい、と言っている訳ではなく、まずは自分のコップを空にしてから新しい水を入れ、そして自分の中で試したり咀嚼をしてみて必要ないと思ったら吐き出せばいいだけです。

教わってる時点でそれを受け入れられない人ってやっぱり伸び悩むんですよ。

そしてそれが自分の成長を遅らせてるんですよね~

説教やクレームにも素直さが大切

僕は以前、「水商売」の世界にいました。

水商売って体育会系のノリである所が多いのですが、僕がいた会社はその中でも群を抜いて「超」体育会系でした(もともと僕は体育会系のノリ嫌いだったんですけどね・・・・)

仕事をしていて僕自身は色々な事を試したいと思うタイプなので上司の意向に沿わない事もたくさんやってきました。

そうするとね~、やっぱりメチャクチャ怒られるんですよ。

「テメエ、なに勝手な事やってんだこの野郎!」ドンガラガッシャーン!!(上司が暴れる音)

なんてのは日常茶飯事で、殴られたり蹴られたりした事も何度もあります。

でも僕としたら、やっぱり自分は間違ってないと思う訳なんですが、「超」体育会系の組織ですから逆らう事や口答えは許されません。

そうなるとやっぱり悔しいんですよ。

そりゃもうメチャクチャ悔しかったです。

でもね、怒られてる中で相手に1割でも正しいと感じる部分があれば

「腹立つけど言われてもしょうがない」

と自分を納得させていました。

まぁ、腹立っても相手に一寸でも理があれば納得するしかない訳です。

中には、怒られた事に対して

「あいつ腹立つよな~」

と自分の非には目を向けず、影で上司に対して非難している奴もいましたが、そういう奴はどんどん消えていきましたね。

結局、仕事は「結果」を出せば誰にも文句は言われない訳なんで

「どうやれば結果を出せるか?」

という事に対して今までに無いぐらいメチャクチャ頭を使いました(腹立ってたからね)

そんでラッキーな事に何とか結果を伴わせる事が出来た挙句、調子に乗って上司に意見しまくる生意氣な奴になったんですけど(笑)

そうすると、今まで「敵」みたいだった上司もどんどん話を聞いてくれる「仲間」みたいになって仕事自体がかなり楽になりました。

当時は若かった事という事もあったのですが、今思うと

「俺って素直な奴だったな~」

なんて思う訳です(笑)

「素直さ」というのは何も「教わる事」に限らないと思います。

「クレーム」「説教」「お叱り」などを受けた時も「素直さ」って自分を成長させる必要なモノだと経験から感じます。

「素直さ」「謙虚さ」に自覚は必要ない

「素直さ」「謙虚さ」とかいう事を書いていると

「私は素直だから大丈夫!」

「自分は謙虚だし関係ないね」

と思う事もあるかと思います。

でも、僕的には「素直さ」や「謙虚さ」って自覚は必要ないんじゃないかな~、と思います。

さっき書いた僕の経験談ですが、その当時は僕自身が自分の事を

「俺って素直な奴だな~」

とかは全然思ってませんでした。

逆に自分の事を「素直」とか「謙虚」って自覚してる人って

「素直で謙虚な事は素晴らしい事だ」

という世間一般の道徳や常識に合わせて無理してそう思い込んでる人が多いような氣がします。

「素直さ」「謙虚さ」というのは自分で自覚する事ではなく、「行動」や「態度」に表れるもんじゃないかな~、と思う訳です。(言い換えると「自戒」と「ひたむきさ」とも言います)

なので

「ああ~、素直さと謙虚さか~ 耳が痛いな~」

なんて思う人ほど伸びしろがあったりします。

まぁ、何にせよやっぱり自分自身を成長させたいと願うのであれば、自分の思いや行動、人から言われた事などに反応する時、「素直」に受けとめられているか、もしくは「自我」の働きで反発しているかをよ~くチェックしてみるのが大切です。

「今が完璧」

とかいうスピリチュアル的思想もいいけど、生きてる限りやっぱり自分を成長させ続けないと何だかんだつまんないと思う僕の意見でした。

魂の「成長欲求」満たしていこうぜ!

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