大人の俺が言っちゃいけない事を言ってみようと思う件

谷山です。

先週、参院選が終了しましたね~

政治については色々なご意見があるとは思いますが、この前の参院選の結果も何とな~く今までの政治の動きを踏襲しているような結果になったような氣がします。

まぁ、今までと違って「政治」と「選挙」という大きなうねりの中で「小さな波」が立った場面もあり、その小さな波が今後、大きな波となって「政治のうねり」が変わっていったら面白いな~、なんて思っています。

そんな事を考えながらガラにもなく参院選をライブで見ていた訳ですが、そこで感じた事がありました。

今日はそこんとこら辺について書いてみたいと思います。

では行ってみよう!

政治家は票の話ばっかり

開票結果が進行しながらテレビはライブで色々な政治家さん達にインタビューをしてるんですが、多くの政治家の話す内容が「選挙の勝ち負け」(いわゆる票)の話なんですよね。

「今回、〇〇地域で奮闘の甲斐なく票が取れなかった」

「〇〇層からの票が集まったのが今回の勝因だと思う」

そんな事ばっかり話してる人が多かった氣がします。

もちろん選挙で勝つ事って大事な事だと思うんですけど

「それって今話す事なんかな~」

とちょっと疑問を感じました。

テレビでインタビューに答えてるのはもちろん「政治家さん達」です。

「政治の本質」って勝ち負けとか票を取る事じゃないと僕は思うんですよね。

「頑張ったけど票が集まらなかった」

とかって民主主義の考え方では

「自分達の考え方が国民に支持をされなかった」

という風に解釈されるべきだと思います。

なので

「どうやったら国民に支持される政策を考え出すか?」

というのが政治家さん達の仕事の本質的な部分だと思うんです。

それよりも「やれ、得票率が~」「やれ、地盤が~」なんてズレた事ばっかり言ってる奴らがほとんどでした。

まぁ、僕のこの意見が甘っちょろい事ってのも重々承知はしてますけど、「政治」のシステムがあまりにも複雑化してしまったが故に、ほとんどの政治家さん達が

「国を良くする事」

より

「選挙で勝つ事」

を重要視しているし、そのズレた視点がその人達にとって「普通」になり過ぎたので「票が取れたかどうか」なんて本質からズレた事をテレビで平氣でいってるんじゃないかな~、と感じました。

そんなの国民を馬鹿にしてると思いますし、「今回の票数に満足してますか?」みたいなインタビューをしてる人や、そんなやり取りをテレビで見ながら納得してる人達がいるからレベルの低い政治家だらけになっているような氣がします。

「説教」に学ぶ本質的な視点

いきなり話変わるけど

「♪大人の俺が言っちゃいけないこと言っちゃうけど、説教するってぶっちゃけ快楽~♪」

って歌聞いた事ありますか?

「セカイノオワリ」ってバンドの「Habit」という歌の一部分なんですけど、これね、初めて聴いた時「よく言ってくれたな」と感心したもんです。

そうなんですよ、人に説教する時って氣持ちいいんですよ。

「いいか!? 俺はお前の為に言ってるんだぞ!」

「あなたの将来の為を思って厳しい事を言ってるのよ」

そんな説教の一つや二つ耳にした事ありますよね。

でも、これってさっきの政治家さん達の視点と一緒で本質的な部分に目を背けてるように感じるんです。

簡単に言うと

「自分の快楽の為に説教をしてるのを人のせいにしてる」

みたいな感じです。

僕は昔からあまり人に説教をするタイプではないのですが、会社員をやってる時は周りに説教をする人達が大勢いました。

そういう奴らって

「あいつがダメだから説教してやってる」

みたいに上から目線なんですよね。

問題があればその問題の解決方法を一緒に見つけて、今後は同じ問題が起きないように改善や指導をしていく、ってのが本筋なのになぜか説教すれば解決すると思ってたりするし、説教だけで終わって改善案なんか何にも出さない事がほとんどだったりします。

よく考えてみて下さい。

今までの人生の中で

「これからは本当に考えをあらためて心を入れ替えよう」

なんてズシンと響く説教をされた事は何回ありますか?

いいとこ1回とか2回ぐらいだと思います。

僕自身、人生において忘れられない説教をしてもらった事は2回ほどしかありません。

それは本当に心に響いたし、今でも説教して貰った事に感謝してます。

でも、それ以外のほとんどの説教なんてすぐに忘れるし、説教されながら

「結局、あんたがそれ言いたいだけだろ」

みたいに思ってしまい、心の中に入ってこないケースがほとんどです(俺の性格が歪んでるだけなのかもしれませんが)

何にせよ、「説教」なんてほとんどの場合が「言いたいから言ってる」という感じで自分の快楽の為に言ってるケースが多いのに、当の本人は「お前の為」みたいに本質からズレた事を本氣で思ってる人が結構いるんですよね。

もちろん「自分の快楽の為」だけじゃなくて、言われた方にとってもメリットがあり「双方の為になる」ケースもあるにはあります。

ピュアな氣持ちは洗脳される

何かここまで書いてて単に僕が愚痴を吐きだしてるだけのような氣もしてきましたが、ここまで書いたからにはこのまま一氣に行ってしまいましょう!

さっきの政治家さん達の話ですが、さっき書いたような違和感は子供の頃から抱いていましたが、僕は子供ながらに

「僕は違う風に思うけど政治家やってる(頭のいい大人)がこう言ってるから自分の考え方が間違っててこの人の考え方が正しいんだ」

と思う素直でかわいいかわいい子供でした。

説教に関しても

「僕はこう思うけど大人が怒ってるから間違ってるのは僕なんだ」

と考えてました。

でもね、はっきり言いますよ。

大人になった今の僕は

「子供の頃の方が純粋で本質的な考え方をしていた」

と自信を持って思っています。

子供の頃って世の中を知らない分、考え方とか疑問が素直に出てくるから思考がすごいピュアなんですよね。

「ピュア」というのは「原理的」であり「本質的」です。

でも、社会のシステムが複雑ゆえに大人になってくるとピュアな疑問や思考はどんどん複雑化されて物事の本質から離れてしまいます。

そして、物事の本質的な部分がどんどん見えなくなってしまってる人を「立派な大人」として認めるのが今の社会です。

もっと言うと、「ピュアな人」は異質な存在として超叩かれるケースも多かったりもします。

「立派な大人」になる為に自分の中から湧いてくる本質的な疑問にフタをしながら世の中に迎合して生きていく、ってのはホント苦しいもんですよね。

本質的な生き方

とまぁ、ここまで自分の思いをツラツラ書いてきた訳ですが、けっきょく何が言いたかったかと言うと

「何事も本質的なモノが見えなくなってる事が多いし、そもそも本質的なモノを追い求めようともしてない人が多い」

という事なんです。

「本質的なモノ」って何だか抽象的な表現ですが、周りに感化されてそれを追い求める事を忘れてしまうと「生き方」に影響が出てきます。

自分にフタをして

「周りがこう言ってるからそれが正解なんだ」

とか

「自分の考えは周りと違うから自分が間違ってるんだ」

というような事ばっかり考えてたらそれこそ「自分らしい生き方」なんて出来る訳ないんです。

いいですか?

世の中のマジョリティ(多数派)は「本質」なんてどうでもいいと思ってるんです。

どうでもいいと思ってたらまだ大したもんで、ほとんどは「本質的なモノ」があるなんて知らないんです。

思いもよらないわけ。

だから僕みたいな事を言ってる人を「幼稚」「頭がおかしい」「そんなこと考えてて金になるの(笑)?」と嘲笑ってくるんです(もう慣れたけどさ)

人間って食べて寝て垂れるだけの生き物じゃないんです。

他の動物にはない、「知性」「精神」「霊性」を兼ね備えているんです。

せっかく人間にしかないモノを持ってるのに他の動物と同じように生きてるのは「自分らしい」とか「本質的」と言えるのかな~、と感じちゃいます。

「自分らしさ」とか「本質的」って抽象的な表現なのでそれこそ人それぞれの「本質」があっていいと思います。

そしてそこに氣付いて追及していくのが「自分らしさ」であり「本質的」な生き方だと思うんですよね。

僕が青臭い事を言ってんのは百も承知です。

ただ、あまりにも「本質」からズレた視点が多くて、それに迎合して生きてくのが馬鹿らしいと感じているのでこんな記事を書いてみました。

本質的な生き方・・・・・追及していきたいですね~

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