感情がブレまくって辛い思いをする原因と変化していく過程

谷山です。

このブログを読んでくれている人って「優しい人」が多い傾向にあります。

「優しい」って定義が少し難しくなるけど、僕的には

「人の氣持ちに寄り添える人」

なんじゃないかな~、と思います。

特に「エンパス体質」の人なんかは人の感情の影響を肌で感じるので「優しい人」である事が多いような氣がします。

「優しい」という事は「優れている」とも言えますし、素晴らしい才能ではあると思うのですが言い換えると

「人の感情に振り回される」

とも言えるのかと思います。

人間って感情の生き物ですから、いちいち周りの人の感情に振り回されて自分の感情をブレさせまくっていると心身ともに疲弊してしまい、かなり大変な思いをする事も多いです。

そういう意味で「感情をブレさせまくる」という事は長い目で見ると自分の人生にとってあまり良い影響はないのかな~、とも思います。

今日はそんな「優しくて人の氣持ちに寄り添える人」の心身が疲弊してしまう要因とそういった人達の変化の過程などを書いてみたいと思います。

感情がブレる原因

いきなり結果から言うと感情がブレてしまうのは「氣力不足」が原因です。

「氣力」というのは普通に生きてるだけで消費するモノですし、人と話すだけでも結構な量を消費します。

特に人の「ネガティブな感情」を共有している時なんかはメリメリと消費してしまう傾向があり、「人の愚痴」なんかを聞くとゲンナリしてしまうのもそれが原因です。

逆に言うと「氣力」が充実していれば人の感情に振り回される事もほとんどなくなってどんどん自分らしさが前面に出てくるようになります。

なぜ氣力不足で感情がブレるのか?

ではなぜ「氣力不足」だと感情がブレてしまうのでしょうか?

知っている人も多いかと思いますが、「感情」は目には見えないエネルギーです。

エネルギーである以上、「波長」というモノが存在します。

楽しい時は楽しい「波長」

辛い時は辛い「波長」

そんな風にその時の感情によって自分の波長は変わっていきます。

ただ、「氣力不足」の時などは自分の波長を描く波が非常に弱々しいモノになり、人の感情の波の影響を強く受けてしまいます。

そして人の感情の波長の影響を強く受ける事で、相手の波と同調し「相手の波」と同じ様な波を作り出します。

自分の感情の波が相手と同じ様な波になる訳ですから

「人の氣持ちが分かる」

とか

「人の心に寄り添える」

という風になる訳です。

「楽しい波」とか「嬉しい波」であれば全く問題はないのですが、世の中そんな常に喜んでいる人ばっかりじゃないですからね~

自分の氣力が強くなってくれば逆に相手を「自分の波」に同調させる事が出来るようになってきて、人の振り回される事がなくなってくるので本当に楽になってきます。

氣力がついてきた人達の変化の過程

エナジーラボに通われている生徒さん達は「エンパス体質」の人達が多く、人から影響を受け続けて自分の氣力を消費しまくってきた人達が多いです。

そういった人達も「行」が進んでいくと「氣力」がメリメリとついてきて人から振り回されなくなってきます。

僕も経験した事ですが、そういった生徒さん達の変化の過程などを書いてみたいと思います。

エナジーラボの門を叩かれる「エンパス体質」の人の多くは(半強制的に)人の氣持ちに寄り添いながら生きてきた訳です。

それが故に心身が疲弊してしまってきた訳ですが、「行」が進んで氣力がついてくると自分の「感情の波」が強くなりブレずらくなります。

そうなると人からの影響はかなり受けなくなってくるのですが、そういう人達も今まで人から影響を受けまくって生きてきた「癖」がありますから、多くの人は自分の変化に頭がついていかずに

「何で私はこの人の氣持ちに寄り添えないんだろう?」

と疑問を抱く事が多いです。

要は

「影響を受けずらくなった自分」

に慣れてないんですよね。

そうなると多くの人が

「人の氣持ちが分からない自分は冷徹な人間なんだ・・・」

とか

「自分の感情は死んでしまったんではないか・・・・」

など思ってしまう事もあります。

僕自身もそうでしたし、そういった相談は何人からも受けた事があります。

でも面白いのが

「自分の感情は死んでしまったのではないか・・・」

と心配している割には大笑いしたり、感動的な話には心を揺さぶられるんですよね(笑)

全然死んでないじゃん!って感じです。

ただ、こういった事も「慣れ」ですから日常を過ごしていく中で「強くなった自分」に頭がついてくるようになります。

本当の「優しさ」

そんな感じで「氣力」がついてくると感情の波がブレずらくなってくる訳ですが、その変化を感情的な表現で表すと

「波がブレるのがおっくうになる」

という言葉が適しているかな~、と思います。

今までは半強制的に人の感情の波に同調させられてきた訳ですが、自分が強くなってくると

「相手の波に飲み込まれる」

のがおっくうに感じるんですよね。

おっくうな事ってわざわざやらないじゃないですか?

なので「自分の波長」が強くなりどっしりとしてきます。

そうなると今度は

「相手の波に合わせるか合わせないか」

という事が自分の意思で選択できるようになってくる訳です。

同じ「同調」するのにも

「氣力が不足していて半強制的に同調させられる」

のと

「氣力がついて自分で同調するかどうかを選べる」

というのは天と地ほどの差があります。

今までは誰かれ構わず同調して人の氣持ちに寄り添ってきた「優しい人」が今度は自分で選んで人の氣持ちに寄り添えるようになってくる訳です。

「半強制的な同調」で多くの人の氣持ちに寄り添う人って心身がボロボロになる事も多くあり、それは「自分自身」に対して優しくないんじゃないかな~、と思います。

表現悪いですけど、人からの影響を受けすぎて「操り人形」みたいなイメージすら持ってしまいます。

でも、それが「自分の意思」で寄り添うべき人に寄り添い、自分のパワーでその人の力になる事が出来る、という事が「本当の優しさ」なんじゃないかな~、と僕は思います。

「半強制的な同調」をさせられてる人って困ってる人や弱ってる人の波に飲まれて「共感」する事ぐらいしか出来ない事が多いですけど、しっかり氣力がある人は相手の波に「共感」「同調」しつつも「現実的」に力になる事が出来ます。

僕自身ももっと精進しなければいけませんが、「エンパス体質」などで「半強制的な同調」をしてしまってる人はそういった事も知って貰いたいな~、と思い記事を書いてみました。

そういった意味で

「本当の優しさ」

ってモノをどんどん追求していきたいですね~

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