「あの世」ってあると思いますか?ー谷山的あの世の考察その2ー

谷山です。

前回の記事は

「あの世」ってあると思いますか?ー谷山的あの世の考察ー
谷山です。 皆さん、「あの世」ってあると思いますか? 僕は子供の頃から 「人間って死んだらどうなるんだろう?」 という事をずっと疑問に思っていました。 なので 「お母さん、人は死んだらどうなるの?」 というようなストレートな質問を親にぶつけ...

です。

前回の記事で「あの世的」な世界を垣間見た僕がその世界で「強烈な感覚」を経験したは良いのですが、日常を過ごす中で段々とその感覚を忘れていきます。

でも、その感覚があまりに強烈だったので

「もう一度あの世界を見たい!」

という風に思い、自己流で「感覚を磨く」というトレーニングを始めました。

そして

「ウツと統合失調症」

を併発して仕事を失っていく訳です。

今回はその続きの話から

「谷山的あの世の考察」

を書いてみようと思います。

「あの世」を忘れた頃にまた「あの世」を見る

前回の記事にも書きましたが

「あの世というモノがあるならば生まれてきた意味も変わってくる」

と思ってた僕は自己流のトレーニングを続けながら

「この事を多くの人に知って貰わなければ!」

という謎の使命感をヒシヒシと感じながらトレーニングに励んでいました。

まぁ、以前の記事にも書きましたが、自己流のトレーニングなんかするもんじゃない訳で、「氣エネルギーの世界」なぞ微塵も知らない「ズブしろ」だった僕は「氣感」だけはどんどん強くなってしまい、コントロールも何もあったもんじゃなく自分の「感覚」に振り回されて会社員を続ける事は出来なくなってしまいました。

そこから色々なお師匠さんや仲間と巡り合い今に至ります。

なので大体この世界に入ってから10年ぐらいですかね~

この10年間、統合失調症からの回復や今の仕事を立ち上げるのにてんてこ舞いで、「あの世的な世界」の事など忘れてしまっっていた時、再び「あの世的」な世界を垣間見る時がやってきました。

瞑想の果てにみる「サマディ」

今では「瞑想」は日課になっているので常日頃から「瞑想」に入っています。

「瞑想」というのは目を瞑って座っているという「行為」ではなくて、その時の「状態」を指します。

「瞑想状態」とか「変性意識状態」というやつです。

僕は「瞑想」が仕事ですので、しょっちゅう瞑想してる訳ですがそうなってくると日常が「瞑想状態」に近くなってきます。

その状態で意識を集中して深い瞑想に入るとより深い瞑想状態に入れる訳です。

そんなある日、いつものように静かに目を瞑って意識を深く深く落とし込んでいきます。

すると突然10年前に感じた「あの世的」な世界に自分がいる事に氣付きました。

厳密に言うと、最初に感じた時よりも少し浅いような感じがあり普段の感覚もある程度残った状態です。

その時も以前と同じように

「光だけの世界」

に意識があり、当時の様に「あの世ってあるんだ」という感覚やある種の「悟り感」もあります。

ただ、当時よりも「自我」が残ってる状態なので

「おお~、またこの世界に来たぞ~ やっぱめっちゃ心地よいな~」

なんて思う余裕もありました。

文章にしても伝わらないと思いますが、最高に氣持ちよい世界です。

そんでふと氣付くと同じように椅子に座っている自分に意識が戻ってきている、というような感じです。

そしてやっぱり

「あの世ってあるんだ」

と感じて当時ほどではないにしろ感動をしたのを覚えています。

今なら分かるのですが、この体験は「サマディ」や「見性」と言われる一種の悟り体験なんですよね。

谷山的「あの世」の考察

それから何度か同じ体験をする事になり、ここで言う「あの世的な世界」を何度か経験しました。

それで僕なりに感じた事があります。

僕が見た「あの世」というのは一般的に言われる「お花畑」とか「ご先祖様」がいる世界ではありませんでした。

もし、僕がみた「あの世的世界」がそうだったらとても分かりやすいと思うのですが、僕が体験した世界は、ただただ純粋な「意識」があるだけで感覚としては「経験した事のない歓喜の感情」に包まれる世界です。

でもこんな世界ではなかったです

その世界を体験してる時は全身がむき身のようにエネルギーをビシバシ感じます。

そういった時って

「なんかそんな感じがする」

とかそういった曖昧な感覚ではなくて

「100%確信できる」

というような感覚なんですよね。

そんな感じで「あの世はある」とか「悟り感」はビシバシ毎度のごとく感じ、意識が肉体に戻ってくると今までなかったような「優しい氣持ち」に包まれます(7番チャクラや6番、4番チャクラも大きく稼働しています)

その世界を肌で感じている時はよく分かるのですが、その「あの世的な世界」も含め「この世」の全てのモノは繋がっていて、一時たりとも離れる事なく全てが「同じ」です。

時間も空間も僕らが感じているモノとは次元が違っていて

「繋がっているけど全てがどうでもいい」

というような感覚を感じます。

言葉では表現が出来ないのですが、「どうでもいい」と言っても投げやりな感じではなくて全てがパーフェクトな状態で「どうでもいい」と感じるんです。

よく実力が段違いに違う人を

「あの人は次元が違う」

と表現しますが、僕が体験したその世界はそういったレベルの話ではなくて本当に何もかも比べる事すらできない本当の意味で「次元が違う」という感じです。

自分で書いてて意味が分からないですが、言葉では絶対表現できない世界なんです。

それにこれはあくまで「感覚的な世界」のお話なので、言葉や文章では伝わらない事も承知しています。

この世界を「仙道」では「虚空」と表現したりもします。

ただし、それは「あの世的な世界」を肌で感じている時に一番強く感じ、肉体に意識が戻ってからしばらくはその感覚は覚えていますが、日常生活を送っていく中で感覚が段々と薄れていくのも初めて経験した時と同じです(もちろん記憶はありますが日常の中で感覚が少しづつ元に戻る感じです)

そして、当たり前ですが今は日常を送っています。

でも実はその世界から戻って日常を送っている今感じる事が一番言いたかった事だったりするんですよね。

全ては「脳」の世界

ちょっと残念なお話になるかもしれませんが、ここまで書いてきた通り僕は「あの世的」な世界を何度か経験しました。

でもそんな僕は今でも

「本当にあの世があるかどうか分からない」

と思っているのが現実です。

何故ならば

「意識が肉体に戻ってきたから」

という理由が挙げられます。

どういう事かと言うと、確かに「サマディ」「見性」を体験している時って静かながらも大いなる感動を感じます。

もしそのまま死んでしまってその世界にずっといるのならば確かに「あの世」は存在するかもしれません。

でも、そこから肉体に意識が戻ってきている以上は

「あの体験は全て脳の中で起きた発火現象」

という事は否定できない事実だからです。

人間の脳ってすごい複雑で、物質では存在しない「幻覚」を見たり人と他人の脳波を同調させたりする不思議な力を持っていたりします。

「あの世的な世界」から意識が戻ってきた僕がその世界を認識し、感じ、自分の中で処理する事自体が「脳のお仕事」だったりするんですよね。

なので、僕は

「あの世はこうなっている」

とか言う人をあまり信用しません。

その人が「あの世を見てきた」とかいう事自体を「自分の脳の感覚にふりまわされている」と思うからです。

こう書くと

「谷山って石頭だな」

などと思うかもしれませんが、「統合失調症」を発症している時にあまりにも現実離れした世界を感じた分、そういった事に対して慎重になっている事は否定しません。

そういった理由から、何度か「あの世的な世界」を体験してきた僕は今でも「あの世」があるかどうか分かっていませんが、そういった世界を何度か経験する事で自分なりに感じた事もあります。

「今を生きる」

子供の頃から抱いていた

「あの世ってあるのかな?」

という疑問に対する「答え」のような世界を体験した訳ですがさっきも書いた通り本当に「あの世」があるかどうかは分かりません。

でも、当時から抱えていた胸のモヤモヤも無くなりました。

何であんなにずっと感じていた疑問が無くなった理屈は分かりません。

「あの世があるかどうかで生きていく意味が変わる」

と少し偏屈で堅苦しい考えも無くなりました。

今はそんな事よりも

「今をどうやって悔いなく楽しく生きるか?」

という事の方が重要になりました。

神様が

「谷山さんあの世ってあるんやで~」

と分かりやすく見せてくれた訳ではありませんが、理屈を超えたところで納得できたような感覚です。

もちろん、エネルギーワークをやっていて

「エネルギーだけの存在」

と繋がる事もあるし、自分や人の精神に深く入っていく中で

「どう考えても前世的なモノの影響を受けている」

なんて事も何度も経験してきました。

なのでそういった「あの世的」な世界の事や「前世」について否定する訳でもありませんし興味が全く無くなった訳でもありません。

何というか

「あの世とかそういった事に対して変に偏った興味が無くなった」

という感じです。

もちろん、僕もまだまだ修行中の身ですからこの先どう変化するかは分かりません。

ただ、何度か「あの世的な世界」を体験した上で、「生きてる今をどう生きるか?」という当たり前の感覚を持つ事ができた、という訳です。

「精神世界」に携わっていると「あの世の考察」とか「あの世の探求」に熱をあげている人をけっこう見ますが、そんな見えない世界にエネルギーを注ぎまくるよりは生きている現実にエネルギーを注いだ方が良いんじゃないかな~、という事を今は思っています。

今の僕のエネルギーは見える世界に全力を注いでいます。

なので、結果的に僕が考えるあの世の考察として

「死んだら分かるさ、という事が分かった」

という身も蓋もない結果となりました。

「あの世の考察」というテーマで記事を書いてきたので、好奇心を持って読んでくれた人もいるかもしれませんが、何だか禅僧のような簡素な結論で申し訳ないと感じつつもこれを持って2回に分けて書いた記事の「オチ」とさせて頂きます(クレームは受け付けないよ^^)

 

2回に渡るお付き合いありがとうございました~

コメント

タイトルとURLをコピーしました