谷山です。
先週の話ですが、いきなり奥さんに
「あなたってHSPでしょ?」
と言われました。
うちの奥さんはそりゃあもう「繊細さ」の対極にいる人で、僕のやっている仕事や「氣」の事、オカルトチックなモノ、精神世界系の事などに一片の興味もない人なんですが、そんな奥さんからいきなり「HSP」という単語が出てきてビックリしました。
聞いてみると、「ワイドナショー」という番組で「HSP」の特集をやっていたそうです。
ロンドンブーツの敦さんが「HSP」でとても生きづらいと言っていたそうで、番組内で「HSP診断」みたいなモノが出ていてその項目に僕を当てはめながら見ていて
「あ!うちの旦那HSPじゃん!」
と思ったそうです。
敦さん曰く
「HSPの人は他の人から見たら小さな事でも氣付いてしまい、ずっと心の中で氣にし続けてしまうから優しくして」
みたいな事を言っていたそうで、それを聞いた奥さんは
「うちの旦那HSPなら、もっと優しくしてやんなきゃダメなのかな~」
と思ったそうです。
その心がけは嬉しいのですが、僕自身、自分は「エンパス」や「HSP」である事は十数年前に氣付いていて、それを奥さんに何度も話した事があるのですが、そういった事に全くもって興味のない奥さんの頭の中では
「またコイツ訳の分からない事をゴチャゴチャ言ってるな~」
ぐらいで全く頭の中に入っていなかったそうです・・・・・
なので僕が
「ずっと昔からそう言ってるじゃん」
と言うと
「そうだっけ? 私には関係ない事だから全然記憶にないわ~」
と言っていました。
俺の言う事はすぐに忘れるのにテレビでやってるの見て初めて真に受けるって・・・・・・
うちの奥さんはきっとNSP(ノー・センシティブ・パーソン)なんだろうな・・・・(そんな言葉ないけど)
HSPとは?
HSPとは「ハイリー・センシティブ・パーソン」の略で外部からの刺激に非常に敏感で、繊細な氣質を持った人という意味です。
人の氣持ちや起きた出来事に対して過敏とも言えるぐらいに反応してしまい、それに引きずられてしまったり、「心のひっかかり」としてずっと考え込んでしまうタイプの人です。
また「エンパス」の様に人との「共感力」が高く、人の氣持ちと自分の氣持ちの区別がつかなくなってしまい「自分の本当の氣持ちが分からない」という様な感覚を持つ事もあります。
HSP診断
今、何かと話題になる事も多い「HSP」ですが
「自分がHSPかどうか分からない」
という人の為に簡単なチェックシートも載せときます。
・人が怒られたりしていると自分も傷つく事が多い
・体の不調に敏感・大きな音や急に人が現れたりすると大げさにビックリしてしまう
・〇〇時までにやらなければいけない、など急ぎの予定や自由な時間を制定されると苦しかったりイラ立つ
・一度にたくさんの事をやらなければいけない時など混乱してしまう
・細かい作業が苦手
・人混みが苦手
・強い光、大きな音などが苦手
・一人でいるのが心の底から楽
・映画や本に感情移入しやすい
・環境の変化に敏感
・いつもの場所じゃないと寝れない
・想像力、空想力が豊か
・正しい事をしたい、誠実でありたいと思う
・涙もろい
・自分にしか分からない感覚がある
・心配性で怖がり
この項目で10個以上当てはまる物があればあなたはHSPである可能性が高いです。
こういう項目チェックして
「こんなの誰にでも当てはまるだろ~」
なんて思う事もあるかと思います(昔の僕がそうでした)
でも「感覚」というモノは
「自分にとっては当たり前、人から見たら当たり前じゃない」
というのが普通なのであくまで「自分の感覚」でチェックしてみて下さいね。
まぁ、このブログに辿り着くような人はほぼ「HSP」だったりしますけどね(笑)
「HSP」と「エンパス」の違い
このブログでは「エンパス」(共感能力者)というキーワードがよく出てきます。
色々と調べてみると
「HSPとエンパスは違う」
とか
「少し違うけど被るところはある」
だとか
「HSPもエンパスも同じ」
と主張している人達がいて何が何やらよく分かりません。
僕からしたら「HSP」も「エンパス」も氣質や感性(感受性)の話であり、「氣エネルギー的な話」になるので同じようなモノなのかな~、と思います。
はっきり言ってしまうと、「HSP」だろうが「エンパス」だろうが「サイキック」だろうが何だろうが人間の個性をそういった言葉の枠組みだけで決めつけてしまうのは無理があると僕は思っています(枠組みが必要じゃないという訳ではありません。言葉の定義は必要です。)
ですので、「HSP」と「エンパス」についてはこのブログではある意味で「同じ」として扱いますし、また違う意味で「別物」として扱っていきます。
やっぱり生きづらいHSP
まぁ、何だかんだ言っても「HSP」という氣質を持っている人は自分の能力を活用できなければ今の世の中では生きづらい思いをするのは間違いないと思います。
今はテレビでも話題になるぐらいですから、巷でもけっこう認知度は上がってきてるみたいで、ネットの掲示板でもスレッドが立っていました。
タイトルは
俺「HSPで過度に繊細な人間だからいろいろ配慮して欲しい」おまえら「それただの性格だろ?」俺「だったら悪いのか?」
というタイトルで、スレ主は「現代の生きにくさ」を主張しているのですが、スレ主に対して
「生きにくさを感じてるのはお前だけじゃない」
「勝手に氣を使って被害者面されてもなぁ」
「過度に繊細な奴って周りの空氣悪くするよな」
「お前が周りに合わせろ」
「厚かましい」
などとフルボッコ状態になっていました。
それに対してスレ主は
「こんなクソみたいな社会が悪い」
という様な事を言っていましたが、結局は終始フルボッコにされて終わるというような感じで終わっていました。
それを読んでいて僕は
「やっぱり多数派の人に理解されない感性を持ってるってのはしんどいだな~」
という事を思いました。
「繊細な感性」を持っている人にとってはやはり生きにくい世の中なんですね><
何かのせいにするのではなく、自分を高めていく事に目を向けよう
僕の仕事の話になりますが、生徒さんの精神や肉体などの状態の機微を感じ取るのは「超」とも言える「敏感さ」が必要で、相手のエネルギーと深く同調してより強いエネルギーを流しこんで氣脈やチャクラを開発していくのにはこれまた「超」とも言える「共感力」が必要になってきます。
自分でいうのも何ですが、メチャクチャ繊細で敏感な部分がないと出来ない仕事です。
たまに自分の「敏感さ」にビックリして笑けてきてしまいます(笑)
でも、そんな自分でもビックリするぐらいの「敏感さ」や「繊細さ」を持っているだけでは本当に世の中生きづらいです。
要は「HSP」だろうと「エンパス」だろうと自分の精神と氣エネルギーをコントロールする能力を身に着けてしまえば何ら問題なく生活する事が出来るという事です。それどころか普通の人じゃ分からない事や出来ない事も出来るようになるしね。「チート」みたいなモンです笑
正直に言ってしまうと僕も自分の感覚が全く理解されない「世の中」を恨んだ事があります。
「こんな感じるモノなのにこれに氣付かない人達は狂ってる!」
「感性を殺さないと生きていけない社会は絶対におかしい!世の中間違ってる!」
みたいにね。
でも、以前の僕と同じように自分の感性や感覚に苦しんでいる人に言いたい事があります。
それは
「周りの人や社会、世の中や世界を恨んでも絶対に自分の成長は無いし、何も変わらない」
という事です。
また別の機会に書こうとは思っていますが、今の世の中は
「感覚を殺さないと生きづらい世の中」
である事は間違いありません。
でも、そんな世の中に「繊細さ」を持って生まれてきた意味を考えてみて欲しいと思います。
ただ苦しむだけの人生なんて無いんです。
その「繊細さ」「共感力」は間違いなく自分を活かす能力になります。
「繊細過ぎて生きづらい」
「周りの人と感覚が違いすぎて辛い」
そんな風に感じる人はぜひ自分を活かすための知識やトレーニングをしてみて下さいね!(このブログにもたくさん書いてあります)
きっと世の中が変わって見えますから^^
谷山 慶裕と言います。
自分が経験した事や学んだ事を元に「氣エネルギー」の重要性と楽しさを面白可笑しく伝えたいです。
プロフィールの詳細はコチラ
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