感じる能力を磨けば自分の人生を生きれる様になる

谷山です。

このブログを読んでくれてる人って良くも悪くも「変わり者」って呼ばれるような人が多いと僕は思っています。

僕自身、自分では自分の事をとても普通の感覚の持ち主だと思っていたのですが、奥さんに言わせると僕も結構な「変わり者」の部類に入る人間だそうです(笑)

まぁ、思い返してみると若い頃から「大衆迎合」されるようなモノが大っ嫌いで、流行を追っかけてる人を「ケッ」みたいな感じで斜に構えて見るような捻くれ者でした。

捻くれてた頃の僕

今となっては

「当時は俺も若かったな~」

と懐かしむ感じではありますが、そんな捻くれ者だった僕が声を大にして言いたい事があり、今日はそこら辺を思いっきりブログに書いてみたいと思います。

世の中は価値観を押し付けてくる

「これが流行の最先端」

こんな言葉はテレビとかで嫌になるほど聞いてきましたが、この言葉に敏感に反応してしまう人もいるのではないでしょうか?

テレビやマスコミは当たり前ですが「ビジネス」で動いています。

要は「金儲け」です。

金儲けが悪いという訳ではないですが、金儲けを一番に考えてるという事はマスコミは僕ら庶民に対して色々な情報を流して消費させる事に尽力するのが普通です。

マスコミは流行を作って皆を「それ」に染めるのが一番儲かるからね。

もちろん、マスコミだけでなく社会には色々な価値観があり、僕らは小さい頃からその価値観の中で生きています。

「こうやって生きるのが普通」

「良い学校に入るのが幸せ」

「皆と同じでいる事が常識」

そんな感じで親や先生、社会の雰囲氣などから僕らは「価値観」を植え付けられて成長してきてる訳です。

世の中の価値観から外れてしまった人

今の世の中ではそんな風に

「社会的な価値観で生きる」

事が良い事とされているので多くの人はその価値観から外れないように一生懸命です。

でも、人間ですからどうしてもその価値観の中で生きれない人も出てきます。

そうなると

「自分はダメなんだ」

「死にたい」

そんな事を考えちゃうのも無理はありません。

でもそれっておかしいと思いませんか?

だってたかが人と違う生き方をしただけなんですよ?

たったそれだけなのに死んでしまったり家から出られなくなったりするのは本当にもったいない事だな~、と思う訳です。

世の中の価値観に染まり過ぎると自分の感覚がマヒする

ちょっと話がそれてしまいましたが、そんな感じで世の中には「正しい」(と言われる)価値観が蔓延しています。

でもそれって結局のところどっかの誰かが決めた価値観なんですよね。

その「誰か」が決めた価値観に染まり過ぎてると「本当の自分の感覚」が分からなくなってきてしまいます。

「本当はこういう事をしたいけど常識的じゃないしな・・・・」

「本当はこう思うけど皆と違うから言わないでおこう・・・・」

そんな風に周りに合わせて生きていると自分が本当に何を感じて何を思うか、という事がどんどん分からなくなっていきます。

もちろん時として周囲に合わせる事も重要な処世術ではありますが、意識して合わせるのと無意識的に合わせてしまうのとでは全然違ってくる訳です。

自分の本当の「考え」や「思い」にフタをし続けているうちに自分自身でも本当にどう感じているのかが分からなくなってきてしまい、本来の自分らしい生き方が出来なくなってきてしまうんじゃないかな~、と思います。

本当は不味いと感じているのにそれに氣付かずに「美味しい」と感じさせられてる、なんて考えただけでもゾッとしてしてしまいますよね。

記憶に彩りがないあの頃

以前、ちょこっと記事に書いた事もありますが、生徒さんの中でも世の中の価値観に染まり過ぎて自分の感覚にフタをしてしまっている人って結構います。

自身で自ら苦しいエネルギー(邪氣)を発してしまっているのにもかかわらず「心地よい」と感じてしまっているような状態です(もちろんその人も今は自分の感覚を取り戻しています)

僕は二十歳ぐらいから会社員として十年以上働いていましたが、会社員になろうと決意した時に

「社会人になるんだから会社に人生を捧げて会社の利益の為に生きていくのが当たり前」

と考えました。

今から考えると良い社員ですね~(笑)

でもこれって結局は会社から植え付けられた価値観なんですよね。

僕は自分で言うのも何ですがかなり記憶力が良い方です。

十代の頃の記憶は彩り鮮やかに思い出す事が出来るんですが、会社員の時の記憶って何だか白黒映画を見ているような感覚なんです。

記憶は感情と結びつきます。

もちろん会社員の頃も感情が無かった訳ではないのですが、自分の価値観の中で生きる事が出来なかった分、本当の感情と記憶が結びついていないんじゃないかな~、と自己分析しています。

今となっては会社員の経験は本当に勉強になった良い経験ですが、あの頃は自分本来の生き方ではなかったという思いも強く抱いている訳です。

言葉を超えた感覚を磨く

まぁ、そんな感じで世の中の誰かが決めた価値観に対して思いっきり噛みついている訳ですが、多勢は無勢、世の中の価値観というモノは「常識」という錦の旗を振って僕らを染めようとしています。

普通に生きてたらそれに染められてしまうのが当たり前です。

結局のところ、自分の中にある本当の感覚を磨こうとするならば言葉ではなく、言語を超えた所にある本来の感覚を磨く事が大切な事なんだと僕は思います。

現代の人は「感じる」という事に対して本当に無頓着です。

それが故に自分が感じている事が本当の事なのかどうなのか分からなくなっている人を大勢見てきました。

そんな状態では本当の意味で自分らしい人生なんかは送れないという事は断言させて貰います。

世の中の価値観や常識はあなたを洗脳する為にやっきになっています。

あなたが大勢に流されて何も考えない、感じない、という楽な人生を選ぶのも一つの選択ではあります。

でも世の中の常識に対して「何かおかしいぞ」と思い始めたら、それはそれで社会の流れから外れる事を指すので色々と大変な思いをするかもしれません。

どちらの生き方を選ぶかはあなた次第です。

大事なのは「選択する事」なんだと思います。

多くの人は選択すらする事が出来ずに流されて生きています。

大げさな言い方をすれば「感覚を磨く」という事はその選択への第一歩とも言えるのかな~、なんて思います。

最後にこの言葉を送りたいと思います。

「洗脳されている人間に共通している事は(自分は洗脳されていない)と思っている事だ」

常に疑問を持ち続ける事が重要、って事ですね。

僕自身、肝に銘じながら生きていきたいと思います。

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