自分と上手に付き合って自己実現をする一つの方法

谷山です。

ウチは基本的に身体や目には視えないエネルギーを開発しつつ「エネルギーワーク」の技術を伝える場所になります。

そんで今まで以上に「氣エネルギー」を発する事が出来るようになり、もっとパワーをつけてより良い人生を送ろうぜ!みたいな事を目指す場所です。

伝えているエネルギーワークの源流となるトレーニング法はインドの「ヨーガ」の技術と中国の「仙道」の技術をミックスしたモノになります(他の技術も混じってるけど)

「エネルギーワーク」って世界中に伝えられていますが、僕はこの「ヨーガ」と「仙道」の技術が一番自分的にしっくり来るんです。

まぁ、伝統的な事を考えたら共に何千年も伝わってきている技術ですから効果が無かったら伝統なんかも途絶えてる訳ですからね。

でもこの「ヨーガ」と「仙道」って技術的には相性が良いのですが、実は哲学、思想的には180度真逆の考え方を持っています。

今日はそこら辺について書いてみようと思います。

ヨーガも仙道も修行法の一つ

今では「駅前ヨガ」とか「ヨガでダイエット」なんてキャッチコピー当たり前になってますけど、ヨーガは元々インドの修行僧(サドゥ)が人生かけてやってる修行法です。

サドゥ

また、中国の「氣功」も元々は「道教」の中から生まれた修行法の一つです。

「修行」の目的ってのはどちらも「悟り」に至る事なんですが、「修行」ってのは元々は単なるエクササイズではなく、人生をかけて行うモノですからそこに「道しるべ」となる哲学や思想は絶対的に必要になってきます。

さっきも書いた通り、その「道しるべ」がヨーガと仙道氣功では真逆に近いモノがあり

「え!?同じところを目指すのに考え方が真逆なの!?」

と最初は困惑しました。

まずは簡単に双方の考え方を説明してみます。

ヨーガは「我」を少なくする

ヨーガは

「この世は苦だ」

と捉えてる側面が強く、その「苦」を生み出すのは「我」だという風に考えています。

これは仏教に親しみが深い日本人にはなんとなく理解しやすい思想かもしれません。

古典仏教の流れを受け継ぐ「禅」のお坊さんが落ち着いている雰囲氣を纏って欲が少なそうなのはそういった「道」を進んでいるからなんでしょうね。

なので、修行の方向もその「我」を少なくして悩みや苦しみから解放されよう、という風に考えてるのがヨーガの基本的な考え方になります。

仙道は「我」を満たす

逆に仙道は

「この世は楽しむもんだ」

という考え方が強くあります。

これは古来より大陸内で戦争を続けてきた民族的な思想が強く根付いているから、と言われたりしています。

戦争ってつらいもんですから、それ以外は楽しみたい!みたいな感じでしょうかね~

なので書物に出てくる仙人は酒は飲むは悪戯はするわ姉ちゃんと楽しむわ、とやりたい放題だったりします。

楽しんでるよね・・・・

ヨーガが「厭世的」である事に対して仙道は「現世的」な訳ですから、共に「悟り」を目指す道だったとしても考え方が全然違ってくる訳です。

あなたはヨーガの考え方と仙道の考え方どっちがお好きですか?

双方に共通する考え方としての「我」

「あなたはヨーガの考え方と仙道の考え方どっちがお好きですか?」

なんて聞いてみましたが、以前の僕はどちらも答えを出す事が出来ず頭が混乱してた時もありました。

「道」を進む行者のはしくれとしてどちらの考え方も納得できる部分があり、答えはなかなか出ませんでしたね~

ただ、どちらの考え方としても共通している事として

「我が自分を苦しめる」

という部分があると思います。

自分を苦しめる「我」を消しちゃうか、満たしてコントロールするかの違いなのかな~と思う訳です。

ヨーガ、仙道共に「我」に対する考え方は違いますが

「この世をどう楽に生きるか?」

という考え方は共通している訳です。

どっちがいいの?どっちもいいの!

そんな感じで思想が全然違う二つの行法ですが、僕なりに

「二つの行法の良いところをMIXさせちゃえ!」

という風に考えるようになりました。

さっきも書いた通り、ヨーガと仙道はテクニック的な部分の相性は良いのですが考え方が逆な訳です。

でも共通している部分としては

「我の扱い方」

となってきます。

その「我」の扱い方で双方の良い所を混ぜてしまう事によってより現代的にも通用する考え方になるのかな~、と思います。

悪い事ではないのですが、人間には複雑な「欲」がありその欲が本来の自分を苦しめる事は間違いないと思います。

ヨーガ的な瞑想や呼吸法などで己の「我」を深く掘り下げる事で、自分の内的な部分を深く理解します。

自分の内面を深く掘り下げてノイズの様な「欲」を減らして自分の「我」に振り回されないようにする事は大切です。

でもそれだけでは厭世的な人間になってしまい、「この世」が苦しく感じてしまう事もあります。

「この世」は物質的や本能的な「欲」を満たそうとする人が大多数ですからね。

その「欲」は必要だし、悪い訳ではないと思いますが霊的な本質とはかけ離れてる世界です。

そりゃ、お釈迦さんも悟りを開いた時に

「え~、この世に戻りたくねえよ~」

なんて駄々こねた逸話も納得できちゃったりします。

「我を減らす」

それだけでは今の現代を生きるパワーにはなりずらい訳です(もちろん突き詰めれば別の話ですが)

そこで仙道的に活力の源である「氣」を増幅させる事でヨーガ的な方法で見つけた内的で純粋な「欲」を「この世」で満たす、という事が大切になってくると思います。

簡単に言えば

「我を少なくしてしてよりピュアな自分を知り、ピュアな部分(欲求)を大きくして自己実現を図ろう」

という事です。

有名な「マズローの欲求5段階」

僕の座右の銘の一つで

「燃やせば燃やすほど楽しくなる欲はどんどん燃やせ、燃やして苦しくなる欲はほどほどにしろ」

という言葉があります。

この「燃やせば燃やすほど楽しくなる欲」を「一義的欲求」と言い、「燃やせば燃やすほど苦しくなる欲」を「二義的欲求」と言います(金銭に対する欲求とかね)

ヨーガ的な方法で「二義的欲求」を減少させつつ自分本来の魂の欲求である「一義的欲求」に氣付き、そして仙道的な方法でその「一義的欲求」を爆発させる。

「ヨーガ」と「仙道」というのは考え方の方向こそ違うものの共に優れた行法でありますから、そんな事も可能なんじゃないかな~、と思う訳です。

「行法の思想」とかを書いてると何だか小難しいような感じになってしまうのは僕の文章力の至らなさなんですが、行法の良い所は

「やってりゃ出来るようになる」

という部分ですから

「自分本来の魂の欲求を満たしたい!」

と考えてる人は何かしら自分と深く向き合える事を探してやってみる事をお勧めしますよ。

例えどんな「道」を進むとしても「燃やせば燃やすほど楽しくなる欲求」というのをどんどん燃やしていきたいもんですね~!

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