谷山です。
前回「氣の勉強会」の記事を載せました。
その時に僕の着ているパーカーに突っ込みを頂きまして、その洋服を買った経緯などを皆さんにお話ししたのですが、実はそのパーカーを着ている時ってけっこう突っ込まれる事が多いんです。
そのパーカーには胸の所に「禅」と書いてあります。
まぁ、確かに胸に「禅」とか書いてあるパーカーってあんまり見ないですよねぇ・・・・
僕が20代の前半ぐらいに「禅の思想」にハマった時がありまして、その時に「ビビビッ」と来て購入したパーカーですが、だいぶ前に買ったモノにも関わらず妙に氣に入って今でも着ている訳です。
当時の僕は「禅」の思想にだいぶ傾倒していた感もありましたし、今でも生きていく上で教訓としている部分もたくさんあります。
今日は僕も大いに参考にさせて貰っている「禅語」の事を書きたいと思います。
法灯明 自灯明
今回テーマにしたい禅語は
「法灯明 自灯明」
という言葉です。
けっこう有名な言葉なのでご存じの方もいらっしゃるかと思いますが改めて説明してみます。
まず、「灯明」というモノは明かりをつけて周囲を照らす道具です。
そして「法灯明」の「法」とは「仏の教え」の事を指します。
「自分の周りを照らして明るい環境を作るには仏の教えが大事ですよ」
そんな意味で捉えて頂ければ良いかと思います。
そして、「自灯明」とは
「自分の周りを照らして明るい環境を作るのは自分ですよ」
そんな意味合いだと僕は捉えています。
「仏の教えを大事にすればいいのか自分でやればいいのか分からねーよ」
そんな声が聞こえてきそうですが、ここから少し掘り下げて解説していきます。
法を明かりとし、自分自身を手本にする
「法灯明 自灯明」という言葉の意味は分かりやすく言うと
「法に従っていきつつ、自分を手本として生きる事」
そんな風に解釈できるかと思います。
実際、僕のところに来られる方と色々とお話しをしていると
「精神的に参っている状態ではどうやって生きて行って良いか分からなくなってしまっているケースが多い」
という事をよく感じます。
僕も経験があるので分かるのですが、心身が弱り切っている状態だと何が正しくて何が正しくないのか判断がつきづらくなってしまう事があります。
特にそういった状態では自分に対する自信が揺らいでいる事がほとんどですから、そんな自分の判断にも自信が持てなくなってしまっている訳です。
そういった場合、その人が何を求めているか、という事をじっくりと聞きながら
「どうすれば自分が生きていきたい道のりを歩いていけるか?」
という事を僕なりに提案します。
場合によっては
「○○はして良いですけど××はしてはダメです」
「そういう言葉を発してはダメです」
などの様にかなり細かい指定までする事もあります。
そしてその人にパワーがついて自分で自分の事を判断できるようになっていただきます。
パワーがついてきたら僕は細かい提案などは一切せずに大まかな道のりだけを話すようにしています。
「仏の教え」とかそんなありがたいモノでは全然ありませんが、僕の言う事を真摯に聞いてくれる生徒さんに細かくお話をさせて貰うのは「法灯明 自灯明」で言う所の「法灯明」です。
そして、段々と指示や指摘をしなくて済むようになってくれば、自分で考えて答えを出して貰うようにしています。
これが「自灯明」への道のりです。
「法灯明」はある意味で「ルール」とか「原則」みたいなもんだと思っています(厳密には真理の事を指しますが)
最初はその原則に従って進む事って重要なんですが、それではその原則に沿った生き方しかできません。
ある程度、自分で進む事ができるようになったら今度は自分で自分自身を照らせる明かりの様な存在になって欲しいな~、と思いますし、僕自身もそうあるべく精進しています。
要は
「自分の生き方が分からない時は真理に従え、あるていど道が見えてきたら自分の生き方は自分で決めろ。それが信念だ」
みたいな感じなのかな~、と思っています。
僕はそういった意味で「法灯明 自灯明」という言葉が大好きな訳です。
この記事を読んでくれている皆さんも
「私のお手本は私自身だから」
って胸張って言えるようになったらカッコいいですよね~
そうなったら今度は自分が周りの人達を照らせる「光」みたいな存在になれるんでしょうね^^
さぁ、みんなでレッツ自灯明!!
※ここでの禅語の解釈は僕の私見を多分に含んでおります
その点ご注意の上で楽しんで頂ければありがたいです~
谷山 慶裕と言います。
自分が経験した事や学んだ事を元に「氣エネルギー」の重要性と楽しさを面白可笑しく伝えたいです。
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