苦しい人間関係から脱却していく時に起こる変化

谷山です。

ここのところありがたい事に新しいお申込みが続いてスケジュールがけっこうパンパンになってます。

このままだと新規のお申込みに制限をかけなきゃいけなくなるかもしれません。

本当は制限とかしたくないんですけど限度もありますからね・・・・・

ブログもあんまり書けない日が続きますがブログ書くこと自体が好きなのでちょいちょい時間を見つけて書いていきたいと思います。

スタイルは変えるかもしれませんが、引き続きお付き合いのほどよろしくお願いしますM_ _M

さて、そんな訳で色々と新しい出会いが続く訳ですが、新しい人達から受ける相談は「氣力不足」っつーのがやっぱり多いです。

そういう人と話してると当然ですが「氣」があまり出ていません。

色々と話を聞いていると、氣力不足になってしまった要因は様々ですが多くの人が「人間関係の渦」に巻きこまれてる事が多いです。

今日はそういった「人間関係に疲れてしまった人」が氣力がついてくるとどの様に変化していくのか、という事を書いてみたいと思います。

では行ってみよう!

人間関係は氣力をゴリゴリに削る

皆さんご経験あると思いますが、「人間関係」ってのは氣力をゴリゴリに削ります。

自分の大好きな同僚、友人、家族、恋人だけに囲まれて生活してるんならそんな事はないかもですが、ほとんどの人はそんな恵まれた環境にいません。

仕事や家族、友人関係においても「どうしても付き合わなければいけない」というケースが多いのが普通だと思います。

そんな中で生活をしてると自分の氣力はメリメリと減ってしまい、本来使うべきところにエネルギーも使えずボロボロになってしまう人をたくさん見てきました。

「人間の抱える悩みはお金、健康、人間関係がほとんどだ」

なんてよく聞きますがそれだけ人間関係に頭を悩ませる人も多い訳です。

でも、そんな生活を続けていくうちに段々とその環境に慣れていき、自分の氣力が周りに削られている事にも慣れてしまいます。

そして氣付いたら氣力不足で何もできなくなった・・・・・と、そんな風になってしまいます。

ただ、氣力がついてくるとそこら辺も変化が出てきます。

人間関係における「執着」の減少

よく

「イヤよイヤよも好きのうち」

とか言ったりしますが、人間関係において

「〇〇さんが苦手」

とか

「××さんが嫌い」

というのは相手の事が好きであろうと嫌いであろうと「興味」を持ってるのと同じです。

そして自分が「興味」を持ったモノに意識が向いて対象のモノとエネルギーの交流が盛んになります。

これは言い換えると「執着」と言えます。

なので、もしあなたが今の環境が嫌で嫌で仕方なかったとしても、嫌になればなるほど執着は強まり、環境からの影響は更に大きくなる訳です。

氣力が強くなる、という事は自分のエネルギーが大きくなると言える事で自分のエネルギーが大きくなるという事は相対的に今まで嫌だったモノが小さくなるとも言えます。

そうなると人間関係において

「あの人は嫌いだな~」

みたいな「思い」も段々と小さくなり、氣付いたら

「もうどうでもいいや」

みたいになってその人や環境から受ける影響も減少していきます。

人間関係においてだけ、という訳ではありませんが氣力が足りない時には氣になってどうしようも無かった事が割とマジでどうでも良くなっていき執着が減っていくとも言える訳です。

執着が減っていく過程での変化

人間は小さい頃から

「人の嫌がる事はしてはダメ」

とか

「人には優しくしないといけない」

といった教育を受けて育ちます。

そういった教育が潜在意識の中に刷り込まれていき

「もっと人に氣を使わないといけない」

「人に嫌われる事は悪い事だ」

という風に固定観念を作ります。

それを「信念」とか言ったりします。

人間は自分の信念に基づいて行動しますから、成長していく過程で埋め込まれた信念に自分でも氣付かないうちに従って生きていき、必要以上に人に対して執着を持つ事が多いです。

ただ、さっきも書いた通り「氣力」が強くなっていくとそれらがどうでもよくなっていきます。

「別にコイツに嫌われてもいいや」

とか

「こんなやつ相手にするのや~めた」

みたいな考えが出てくると本当に楽になっていくのですが、それらは今まで長い年月で培ってきた「信念」と相反するモノです。

執着が減っていく事で自分自身は軽くなってるのに対して、信念は固定化されたままですから

「自分は冷酷な人間になってしまったのではないか?」

というように軽い混乱が起きる事もあります。

これは僕自身も経験した事なんですよね~

「人を大切にしなければいけない」

そんな信念が強かった僕は、今まで自分に対して敵意や害意を持ってる人間に対しても出来るだけ善意で接しようとしてました。

自分を攻撃してくる人間に対して嫌な感情が芽生えた時も

「あの人を大切に思えないのは自分が至らないからだ」

と自分を責めたりしてました。

そりゃそんな生き方してたら氣力もゴリゴリに削られるしストレスも溜まりますよね・・・・・

そんで、自分の氣力がついてくると他人に対して興味も無くなっていき、必要以上に人に踏み込まないようになりました。

そうなるとかなり楽になるんですが、今までとは違った感覚なので

「俺は冷たい人間になってしまったのではないか・・・・」

と悩んだのも今は懐かしい思い出です。

まぁ、そんな感覚の変化はみんなすぐに慣れてくもんなんですけどね。

まとめ

「氣力が強くなる」というのはある意味で「生き方が変わる」とも言えます。

本来であれば生き方なんて徐々に変わっていくのが普通で、人生を振り返った時などに

「思えばあの時が生き方が変わった時だったな」

と、氣付いたりするものですが「行」をしていると自分自身が変わっていく過程も観察する事が出来たりするんですよね。

これは「行」の面白いところだと僕は思います(ちょっと混乱するかもだけどね)

「氣力不足」はもちろん、人間関係などで悩んでる人がいたら

「どういう風に考えればいいか?」

という精神論より

「どうすれば自分がもっと大きくなれるか?」

という風に考えれば意外と簡単に答えは見つかるかもしれませんね。

「ちょっとでもいいから方法が知りたい!」

という人がいたらお早めにご連絡下さいませ~

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