人と別れる時は「徳」を積むチャンス

谷山です。

人間、生きてると

「出会いと別れ」

というのは付きものだと思います。

友人との出会い、別れ・・・・

恋人との出会い、別れ・・・・

恩師との出会い、別れ・・・・

色々な出会いと別れを経験して今のあなたがある訳ですが、僕の経験上、人間って「別れ際」に本性が出る事が多くあるように思います。

そして人との「別れ方」ってかなり重要なんじゃないかな~、と感じた事があったので今日はそこら辺について思う事を書いてみます。

別れ際は綺麗な方が良い

僕は以前、水商売の店舗を経営している会社で働いていました。

「水商売」の語源には諸説あって

「その日の売り上げ予定が分からない水物だから水商売」

「水の様に流れ流れた先に行きつく商売だから水商売」

というような説を僕は聞いてました。

「売上説」に関して今回は関係ないので省きますが、もう一つの「流れ着く説」は確かにその通りだな~、と感じます。

「水商売」って求人は数社に常に出し続けるのは当たり前ですし、それ以外にも「路上スカウト」(今は条例違反だけど)や「紹介金制度」「人材の再発掘」などを駆使して店舗側としてはありとあらゆる手を使って人を募集します。

「誰でも出来る商売」

「人が商品」

だからこそ、どんどん色々な人がやってきて毎日が新しい出会いになる訳です。

それだけ「出会い」がある訳ですから、当然「別れ」の機会も多くやってきます。

「水商売」に流れ着く人間は男も女もだらしない奴が多かったりしました。

仕事をバックレたり(いわゆる「飛ぶ」ってやつ)約束を守らない人間や金品を盗難する奴なんかもけっこうな頻度でいる訳です。

そういう人間に対して、最後は

「今までさんざん好き勝手やってくれたな、もうお前と仕事しないで済むのはせいせいするぜ!」

なんて嫌味の一つも言いたいのが本音だったりするのですが、当時の僕の上司にそういった事を言うのはきつく止められていました。

その上司はよく

「どんな奴でも最後は綺麗に別れろ。辞めた女の子がこの先、結婚して娘を生んでキャバクラで働きたいと言った時にウチの会社を紹介したくなるぐらいの別れ方が理想だ」

と言っていました。

そして、実際に僕が働いていた店にいた子で

「お母さんが昔、ここのグループで働いててここは信頼できるから、って紹介された」

という理由で働いている子も何人かいましたし、辞めた子が友達や兄弟を紹介してくれるなんて事もザラにありました。

もしその人と最悪な別れ方をしていたとしたら、娘さんやお友達を紹介しようなんて氣は起きないです。

そういう事がある度に

「ああ、やっぱりあの上司の言ってた事は間違ってないんだな~」

と実感したものです。

「出会い」は「別れ」を作るものですが、その「別れ」は「新たな出会い」の縁を結んでくれるものなんですよね。

ただ、水商売は男性スタッフも感情的な奴が多かったので、別れ際に

「てめえ!今まで好き勝手やってたくせに簡単に辞めれると思うなよ!」

みたいな脅しをいれる奴なんかもいたりしましたが、そんな別れ方をしてしまうとその人とはもう「縁」が完全に切れちゃうんですよね。

やっぱりどんな人間に対しても「別れ際」は綺麗な方が良い訳です。

別れ際を汚すのは「我欲」

「別れ際は綺麗な方が良い」

なんてのは当たり前に感じるかもしれません。

でも、その当たり前がけっこう出来ない人が多いな~、とも思う訳です。

僕の知ってる人で

「コイツはそろそろ自分から離れていくな、よし!脅して俺から離れられないようにしてやろう」

みたいな事を考える人がいました。

そして、離れていきそうな人に対して「脅し」や「恫喝」をして自分に従わせようとします。

多分、本人的には合理的な思考でそういう行動をとっているのだと思いますが、そんな事を言われた方は

「もうこの人と関わりたくない」

と思うのが自然ですよね。

そして、実際にその人は色んな人とどんどん「ご縁」が切れていってました。

僕的にその人が人との別れ際に発するエネルギーを読んでみると

「自分の思い通りにはならない事に対する怒り」

「人が自分から離れていく恐怖」

みたいなモノを感じます。

その人は自分でも氣付かないうちに別れ際に自分の中にある「怒り」や「恐怖」のエネルギーを相手にぶつけてるですよね。

これは「我欲」の一種だな~と思う訳です。

もちろん、別れ際なんて無数にありますから「怒りをぶつける」などというパターンだけではないでしょうけども。

人と別れていく時、もしその人が自分にとって嫌な人間であれば

「あんな人とはもう縁が切れても構わない!」

と思うかもしれません。

そんな風に思う氣持ちも分かりますが、別れ際を汚してしまうと、(別れた人とは関係なく)巡り巡ってやってくる「新しいご縁」すらも切れてしまうだな~、と思います。

別れは「徳」を積む良い機会

ここまで書いた通り、人との別れ際に「我」を出してしまうとその別れが良いものにならない可能性が高いです。

そして、ご縁が完全に切れてしまうと新たな良いご縁に繋がらない可能性もある訳です。

「別れ」は確かに寂しく苦しい場合が多いです。

仕事を通してたくさんの「別れ」を経験してきた僕としてはいかに「我」を出さずにお互い感謝しあって別れていくのが大切な事なんじゃないかな~、と思います。

確かに最初は

「嫌味の一つも言ってやろう」

みたいな氣持ちも湧いてきますが、それをグッと堪えて笑顔で「今までありがとう」という氣持ちを忘れないでいるとどんなに嫌いな奴だったとしても、その人はその人で大切な存在だったんだな~、と思うようになっていきました。

そうなると、どんな人とでも「別れ」が寂しく、せつないながらも自分の成長に繋がっていく事が実感できるようになっていきます。

今回は分かりやすく「ご縁」を新たな出会いと言う「メリット」ととして記事を書いてみましたが、実際は「ご縁」というメリット以上に「良い別れ」は自分の成長の為に大切な事なんだと思います。

それこそが「徳を積む」という事に繋がるんじゃないかな~、と思います。

まぁ、僕が「徳を積む」と言っても説得力ないかもしれませんけど(汗

ここまで色々と書いてきましたが、人間生きてれば色々な人との別れがある訳で、その別れ際には「我」をグッと抑えて笑顔で「ありがとう」と言い合って別れられる人間になりたいもんです。

あなたもこれから無数に訪れるであろう「別れ際」の時にはちょっとだけでも意識してみて貰えれば何かが変わってくるかもしれませんね~

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