谷山です。
皆さん、日頃から「オーラ」という言葉を使う事はありますか?
「あの人ってオーラあるよね~」
「近寄りがたいオーラ出してるね」
みたいな感じで今日日、「オーラ」なんてけっこう普通に使う言葉だったりするかもしれません。
今日はそんな「オーラ」について思う事を僕の経験を元にちょっとだけ書いてみたいと思います。
では行ってみよう!
そもそもオーラとは?
そもそも「オーラ」とは何でしょう?
このブログを読んでくれてる人達にとって今さら説明は必要ないかもしれませんが、一応簡単に説明しておくと、オーラとは人間や物が発する「波動」の事を指します。
特に生物が発するオーラに関しては「生体エネルギー」の事を指す事もあり、その人の持つ雰囲氣などの総称として使われる事が多いです。
オーラとは、生体が発散するとされる霊的な放射体、エネルギー を意味する。転じて、ある人物や物体が発する独得な、または霊的な雰囲氣や、なんとなく感じる力、威圧感なども指す。なおオーラという言葉は、「微風」「朝のさわやかな空気」を意味するーWikipediaー
みたいな感じなので、精神世界などに見識のある人には「人間や物が放つ波動エネルギー」
そういったものに見識があまりない人には「雰囲氣」
というような表現で良いのかな~、と思います。
とある宗教家の放つオーラ
僕がこの世界に足を踏み入れて間もないころ、とある宗教家の方とお話をする機会がありました。
お話っつても何かの議論とかじゃなくて普通の日常会話をしてるだけだったんですけど、その人が突然に自分が信仰している宗派の話を急にし始めました。
別に興味もない話だったので
「ふ~ん」
みたいな感じで特に意識もしてなかったんですが、突如その人の背後から「金色」のオーラが放たれてるのを氣付きました。
人のオーラなんて感じるのが初めてだった僕はあっけに取られつつも、何故かそのオーラに手を合わせて拝みたくなるような衝動に駆られました。
まぁ、でも普通に話してる人に突然手を合わせてるのもおかしな話なので、さすがにそこまではしなかったのですが、その日はそれ以降ずっと
「手を合わせて崇めたい!」
みたいな衝動は自分の中に感じていました。
オーラを分析してみた結果
とまぁ、その日はそれ以外に特に何もなく終わったのですが、僕の中で
「あのオーラを感じた瞬間から湧いてきた衝動は何だったんだろう?」
という疑問は残っていました。
よくよく考えてみると「崇めたい!」なんて衝動が湧いてくるって普通じゃないですよね・・・・・
「オーラ」っつうのは「情報体」なので、その人のオーラを感じ取った瞬間にそのオーラはその人の信仰している宗派の教祖さんのオーラだという事は伝わってきていました。
その人は教祖さんの影響を受けて教祖さんと同じオーラを発してる、という事は自分の中で腑に落ちたのですが、僕が手を合わせて崇めたくなるような衝動が湧いてきたのは謎でした。
氣になっていたのでその宗教について調べてみたらその宗教は「現人神信仰」で、教祖さんがいわゆる「神様」でありその教えが全てである、という教義を持った宗教みたいです。
はっきり言ってしまうと自分で自分の事を「神」なんて言う人ってのは強く偏った「我」を持ってる訳で、教祖さんは
「私は神なのだから崇められて当然」
みたいな感じで考えてると思います(というかそんな感じがヒシヒシ伝わってきた)
他人に自分を崇めさせて承認欲求を満たしているような印象です。
そして、自分を崇めてくれる人(信者)を集める為に一見すると神々しいオーラを身に纏って周囲を圧倒する訳です。
そのオーラに当てられた人は
「ああ~、この人は神様だ~」
と勘違いしてしまい、まんまとその教祖さんの思惑通りになってしまうんだな~、と思いました(もちろん本人はオーラに当てられてるなんて微塵も思わないだろうけど)
そして信者に自分と同じオーラを纏わせて(オーラを貸して)、更なる信者獲得に励んでいる、という事が分かってきました。
「金色のオーラ」ってのもよくよく考えてみると、神々しさの押し売りみたいな感じがしてきます。
最終的には
「俺は単にその押し売りみたいなオーラに当てられて崇めたい衝動に駆られたんだな~」
と妙に納得できたのをよく覚えています。
沖縄のユタも感じた教祖さんのオーラ
ちょうどその頃にとあるコラムでその宗教に入信した人の話が書いてある本を偶然見つけました。
その人いわく
「お婆ちゃんが沖縄でユタをやっていて、その教祖さんの写真を見たら金色のオーラが出てとても神々しかった。お婆ちゃんにこの人なら間違いないからここに入信しなさい。と言われ入信した」
といった内容が書いてありました。
オーラとかその手のモノは「感性」が重要で、「正解」「不正解」で分けれるものじゃないから自分の感じたままが正解だけど僕的には
「そのお婆ちゃんはきっと人がいいんだろうな」
という印象を受けました。
確かに一時は僕もオーラに当てられて「崇めたい」という衝動に駆られてしまったので偉そうな事は言えないのですが、そのお婆ちゃんはパッと見ど派手なオーラに目が眩んでしまって「崇めよ!」みたいなエゴ丸出しの裏の部分まで感じ取る事ができなかったんだと思います。
実際にその宗教はそれ以降、段々と人が離れていき今では息も絶え絶えになってしまったそうです。
教祖さんが本当に神様みたいなオーラを放っていたらそんな風にはならないんじゃないかな~、と思う訳です。
一見したオーラに圧倒されない事が大事
そんな昔話をレッスンの最中の雑談で生徒さんに話して
「本当に神様が存在してたらあんな押しの強いオーラは発さないだろうな~、俺はその押しの強さに当てられちゃったけど(笑)」
みたいなオチで話を締めくくったんですけど、その話を聞いていた生徒さんが
「私が前に習っていた先生も最初に凄いオーラを感じたんです。だから習いにいったけど、その先生は結局お金の亡者でした・・・・・」
という事を話してくれました。
聞けば、その生徒さんはとある氣功を教えてる先生の写真を見た時、僕が教祖さんのオーラに圧倒された時と同じ感じで
「この人は本物だ!」
と思い師事を決めたそうですが、実際にレッスンを習ってしばらくすると段々とその先生の人間性はとても褒められたものじゃなく「お金」などの「我欲」にまみれていたようで多くの人がその先生の元を離れていったそうです。
その話を聞いて、僕が経験した話と同じだな~、と感じました。
一見「凄み」のある人って雰囲氣ありますし圧倒されちゃう事もあるかと思います。
ユタさんの件もそうですけど、直感的な人ほどそういった「凄み」のある人に圧倒されちゃって強い影響を受ける事が多いようです。
でも、そういった「凄み」のある人って僕の経験上、「見せかけ」だけの事が多いような氣がするんです。
オーラでも人間性でもなんでもそうですが、本当に研鑽されたモノって一見すると「凄み」を感じる事がありません。
達人になればなるほどオーラは普通の人みたいになっていきます。
「研鑽された奥深さ」は「妙味」みたいなモノでパッと見ではわからない事が多いです。
逆にオーラなどで「凄み」を感じさせてる人って、その人自身に奥深いモノがないから雰囲氣で周りを圧倒させてるんじゃないかな~、と思う訳です(あくまで僕の経験上の話ですが)
本当に凄い人だったら周りを圧倒させる必要なんか無いしね~
「凄み」のある人って圧倒されちゃう事もあるかと思いますが、よくよくその人を感じてみると実は意外と大したことがない、っちゅう事も多いかもしれません。
もしあなたの周りに「オーラのある人」がいたらよ~くその人を感じてみてください。
あなたの中にあらたな「見識眼」が出来るかもしれませんよ。
まぁ、何にせよパッと見で人を判断するのは良くないっちゅう事ですね♪
谷山 慶裕と言います。
自分が経験した事や学んだ事を元に「氣エネルギー」の重要性と楽しさを面白可笑しく伝えたいです。
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