谷山です。
先日、家族で食卓を囲んでいた時に子供たちが何やら学校の話をしていました。
どうやら高校一年生になる娘に対して兄と弟が
「おめぇ~ 学校で彼氏できたのかよ?」
的な話を軽くおちょくるような感じで振っていたようです。
娘はYESともNOとも答えずに何だかはぐらかすような感じで会話をなぁなぁにこなしてました。
その時、娘から
「言いたい事があるけど言わないようにしてる」
みたいな感情の波をキャッチしたので、僕が
「我慢してないで言いたい事あるなら言えばいいじゃん」
と娘に言うと
「何で?」
と返してきたので
「お前からそんな感じの脳波が出てるからさ」(氣と言うより脳波の方が伝わると思ったんです)
と答えると
「人の脳波を勝手に読み取らないでよ(怒!!」
と激怒して席を立ってしまいました。
その時、僕は娘が激怒した事よりも
「父娘の喧嘩は数あれど、脳波を勝手に読み取る読み取らないで喧嘩するなんてウチぐらいのもんだろうな~(笑)」
と何だか面白く感じたのですが、冷静に考えてみると確かにデリカシーが無かったなぁ、と反省しました・・・・・
けどまぁ
「脳波読み取ってごめんね」
とか謝るのも変ですよね・・・・・・
氣功を生業にしていて大事にしてる事
このブログで何度も書いてますが、ウチの教室は当たり前の事ですが「社会通念」というモノを大事にしています。
教室の運営理念が
「氣の有用性を広める事」
である以上、社会から逸脱してしまうような感覚を持っていると世間から受け入れられにくく、結果として氣の有用性を広めるどころか単なる「変わり者集団」になってしまうからです。
ただ、仕事でどうしても「氣」や「精神世界」の話が多くなるのでたまに感覚がマヒしてしまい、さっき書いたように普通の会話の中に「氣」とか「脳波」とかが出てしまいます。
その点は氣をつけなきゃな~、なんて思う事も多々あったりはするんですよね・・・・・
そういう時もたまにありますが、基本的に
「仮に精神世界等の話をしても日常の会話で受け入れられるレベルの内容」
というのを心がけてる訳です。
たまに逸脱しちゃうのはご愛敬だと勝手に思ってますけど。
それでも感じる「普通」との違い
そんな感じで「社会通念」を大事に生活してる訳ですが、仕事中以外でも電車に乗ったり人と会話をしてるとどうしても波動をキャッチする時があります。
例えば体調不良や精神疾患を患ってる人などが近くにいたり、会話してたりする時は邪氣をビンビンに感じながら話します。
もうね、仕事でやってるから分かりますけど、しっかり感じるモノって思い込みや先入観じゃないんですよね。
しっかりと肌で感じ取る時って当然ですが「間違い」ってのは無いんです。
何かをキャッチした時って自動で軽く変性意識に入り、氣に対する臨場感が非常に高くなるんです。
まぁ、その時に感じたモノをどう自分の中でどう表現するかはセンス次第だけど。
そういう人と会話をしてるとガンガンに邪氣を浴びてる訳ですが、傍から見てれば普通に会話してるだけな訳です。
そういう時は
「普通の人は会話しながらこんな邪氣なんか感じないんだろうな~」
などと思いながら会話をしたりします。
そういう事があると
「やっぱり普通じゃないんかな、俺って」
などと思ったりもする訳です。
氣を読めるのは特殊な事なのか?
もう氣を感じたり読み取ったりするのは僕にとっては普通の事なのでぜんぜん特殊な事だとは思っていません。
でも、たまに
「そんな事まで分かるなんてすごいですね!」
などとお褒めの言葉を頂く事もあったりします。
僕も人間ですから褒められて悪い氣はしないのですが、そういうお褒めの言葉を頂くたびに
「この人は氣を読めるのが特別な事だと思ってるんだな」
と感じます。
さっきから書いてる通り世間一般で言うところの「普通」の生活をしてたら氣を読み取るなんて事はまずないです。
でも、「氣を感じる」「氣を読む」「氣をコントロールする」って本当に特別な事じゃないんですよね。
ウチの生徒さん達も氣の感覚が上がってきた人達はみんな口を揃えてそう言います。
その人達も最初は氣を読むなんて事は一切できなかった人達です。
でも、感覚が開いてくるにつれ「氣を感じる」という事が人間という生物として元から備わってる能力の一つだと本能的に感じ取る訳です。
「第六感」と表現しても良いかもしれないですね。
第六感はもともと誰にもあるにも関わらず
「特別な事」
という風に認識してしまうとその能力はその人の中で「特別な能力」と認識されてしまいます。
そして
「特別な能力だから自分には難しい」
という信念を強めてしまい開花するのに時間がかかったり、開花自体がしない事もあったりします。
そういう人って氣を交流させてても
「自分には出来ない」
みたいなある種の「自信の無さ」が氣に乗っかって伝わってくるんですよね。
ウチの生徒さんであればそこら辺はしっかり指摘して改善していく方向でレッスンを行いますけど。
まぁ、何にせよ、「氣を感じる」という能力が開けば開くほど一般的に言われる「普通」とは違ってくるかもしれませんが、生物としての能力が磨かれていくのは間違いない事なんじゃないかな~、と思います。
そうなると世界がまた違って見えてくるし、生きていく上でも役に立つ事が多いです。
そうやって自分の能力を磨いて開花させていく事こそが僕にとって「普通」な事だと思っています。
もっと多くの人が氣の有用性を知って、皆が自分の能力を開花させていくような世界になったら楽しいな~、なんて思います。
その為に今日もお仕事頑張りますぞ!!
谷山 慶裕と言います。
自分が経験した事や学んだ事を元に「氣エネルギー」の重要性と楽しさを面白可笑しく伝えたいです。
プロフィールの詳細はコチラ
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